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「勝利至上主義」からの脱却

こんにちは。向家です。先日久々に直接お話しできた親御さんとの会話から改めて僕が考えたことを書きます!長いですがお付き合いください。


【日本のスポーツ=部活・クラブ活動】
先日クラブの親御さんと話した中で、出てきたのは諸学校でのクラブのお話し。所属しているクラブでの指導者のスタイル。具体的に表現すると「厳しさ」、「激しさ」、「怒号」そんな感じです。
ただ、これけっこう日本のスポーツ現場で見受けられるかなと思っています。

最近実は土日で時間ができた時に、市内を中心にサッカー少年団の現場や他のスポーツ現場を観ることがあります。自分の指導を振り返るという意味で。

観に行った時もけっこうきつい言葉が飛び交っているのを耳にします。また、指示に対して反応していないと大人の言葉がその場には飛び交います。こどもたちの表情も強張っているのを観ると僕には疑問が生まれます。この子達は本当にこのスポーツやりたいのかな?と。

【スポーツの本来の意味】
そもそもスポーツの語源はdeportare(デポルターレ)というスペイン語からきています。直訳すると「港を離れる」、「憂いを持ち去る」です。それがフランス語、英語を経由してsports(スポーツ)になりました。意味としては「まじめな仕事や辛い仕事から一時的に離れる」=「気晴らし」、「休養する、楽しむ」として使われるようになったと言われています。(当時のイギリス社会の影響で働いてばかりで一般市民の娯楽がなかったことから)

そう考えた時に先程のスポーツ現場でのこどもたちの様子は本来の意味からはかけ離れてしまっています。楽しんでやれているのか。本当にこのままでいいのかな?と。

【勝利至上主義からの脱却】
なぜ、厳しい言葉が飛び交うのか?僕は、勝利するための指導になってしまっているからだと考えています。勝つために〇〇をしなきゃならない。こうやると勝てる。けどその勝利はこどもたちが望んでやっていることなんでしょうかね?指導者が勝ちたいからになっていないでしょうか?そこがこどもたちであるなら問題ありません。そう見えないから違和感を覚えます。

僕自身は小学校時代のチームであまり強いところではありませんでしたが、市内のトレセン(チームから2名くらい選ばれる選抜みないなもの)に選ばれて、チームやトレセンでそんな指導を受けていました。自分のチームでは罰で走るなんかも当たり前でした。ただ今考えると怖いのですが、それが当たり前と思っていましたし、自分は試合に出場できていて、それなりにやれていたので何も感じていませんでした。

ただ、中学に上がる時にチームで数十人いた仲間の中でサッカーを続けたのは半分以下でした。みんな他のスポーツへ変えたんです。その時から疑問は持ち続けていました。「なんで辞めたんだろう?」と。答えは「やらされていた」でした。

この話は20年以上も前の僕の話です。でも現在起こっているスポーツの現場とさほど変わりません。現場は変わっていないんです。(もちろんそうじゃないクラブもありますが。)なぜなのか考えた時に、それは勝つための指導が優先してしまっているからではないかと思います。

もちろん勝つこと、勝ちたいと思うことが「悪」とは思いません。実際そこに打ち勝つことで得られたこと、言われたことをやって実際その通りになり成功したこと。色々経験になったこともあります。

ただ、それはそういう気持ち(何がなんでも勝ちたい、もっと上手くなりたい、負けて悔しい)が内面から溢れ出てきたタイミングで厳しさやより勝つための指導、接し方をしてあげればいいのではないでしょうか?個人差もありますから時期を具体的には決められませんが、少なからず本来のスポーツの意味やスポーツの持つ力(楽しさ、仲間と共有できる喜び)をまずは伝えていくべきだと僕は考えます。

このクラブがこどもたちにとって安心して楽しめる場になるように努めます。

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